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サロンLAPISのニュートラルトーク

ひっそり隠れ家サロン時代から書きためている本音のコラム。 時にじんわり、時にきっぱり。 素で綴る、セラピストのひとりごとです。

   

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壮絶な闘病生活の果てに【プロフィール作り⑨】

最初の母への診断は、余命一年だった。

手術ができる段階ではなく、命の期限を少しでも長く延ばすための

処置として、放射線治療と、化学療法を選択した。

母にもすべて告知し、治療は開始された。

話には聞いていたが、その副作用とは あまりにもつらい闘いだった。

一番つらいのはもちろん、母だ。

見舞いに行くと、彼女は洗面器を抱えて、ベッドで丸くなっている。

不機嫌な顔を隠そうともせず、

背中を向けたまま、手で追い払いしぐさを、私達にするのだ。

「帰れ」の意味である。

あんなに優しく、自分のことよりも家族を優先させる母が、

その苦しさに耐え切れず、わたしたちにも苛立ちをぶつける日々。

どんなに、苦しかったことだろうか・・・。今でも、そのことが引っかかって消えない。

しかし、化学療法の時期を終了すると、いったん小康状態がやってきて、

週末は自宅に帰れる日もあったのだ。

そんな時、真っ先に母がすることはいつも、病院から自分の店に

直行することだった。

なじみのお客様が、母の一時退院に合わせて、やってくるからだ。

「先生でないと、いやなんや」
「他の店には、行きたくないし」
「ゆっくりでいいさけ、カットして欲しい」などなど

もう40年近いつきあいの常連客も多く、

母はとても信頼できる美容師として、

その細くやせ衰えた体でも、椅子に座りながらでも

請われれば、はさみを手に取った。

本物のプロフェッショナルであった。

しかし、時に無理をしすぎて、せっかく体調が回復して帰宅したのに、

仕事をし過ぎたために、病院へ逆戻り・・ということも多々あったため、

とうとう義父がストップをかけるようになった。

長居する常連客をそれとなく追い帰すようになったり、

仕事中も店に来て、監視するようになったため、

母が父に訴えた。

「私から仕事を取り上げんといて!! お願いやから」

それくらい、母にとっては仕事がすべてだったのだ。

こんなこともあった。

六人部屋にいた時のことだが、がん治療のリスクとして、

髪の毛が抜け落ちるという症状が出る。

相部屋の患者さんがそれを気にしていると聞くと、

「わたしがいいウィッグを紹介してあげるから、元気だしねや」と

励ましたり、薄くなった頭皮をうまく隠すように セットしてあげたりと、

病室の中でも、「美容師」をしていたのだ。

ナース達が、「本当に、お仕事が生きがいなんですねぇ」と感心するくらい、

前向きに明るく、毎日を精一杯 生きる人だった。

余命一年が過ぎ、二年が過ぎ、もしかしたら、奇跡が起きて

母は完治するかもしれない・・・と思わせるようになっていた頃、

やはり、現実は悲しく、再び大出血に見舞われ、一時帰宅は危険との判断で、

それ以降は自宅に帰ることはなくなった。

そして、追い討ちをかけるような出来事も、次々起こる。

その日、見舞いに行くと、母は泣いていた。

父から、「粗相をした」ということだけを 知らされた。

度重なる放射線照射で 尿意の感覚が麻痺してきていて

院内の廊下で、もらしてしまったということだった。

それを聞いて、私は胸が締め付けられる思いがした。

美を紡ぐ職業、プライド高く仕事をしてきて、何よりも弱みを見せない

誇り高い母が、どれだけ将来に絶望したかが、想像できる。

もちろん、治療に入る前の同意で、「膀胱が機能しなくなる可能性が高い」とは

聞き入れ、認めていたが、現実となると、話は全く変わってくる。

そしてすぐに、母の膀胱は人工のものに付け替えられた。

そのあたりから、母の急速な病状の悪化が進む。

体重は20キロ以上落ち、骨と皮が浮き上がり、座っているとお尻が痛いと

訴えるようになる。母は細く、小さく、か弱くなっていく・・。

そして、最後通告のような出来事が起きた。

店のビル貸主が、明け渡しを要求してきたのだ。

店舗として営業していなくても、きちんと家賃は納めている。

それに、店は、母の命だ。

しかし、この貸主とは今までもあまり良好な関係とは言い難く、長い間にはいろいろと

小競り合いもあったようなのだ。しかし、母の店の繁盛振りで何とか押さえ込んでいた

ようなものだったらしい。

面倒なことが嫌いな父は、あっさりとそれを認め、手続きを勝手に進めてしまう。

夫や私たち夫婦の了解もないままにである。

母は、それを黙って受け入れた。

店の什器や備品は、美容師仲間に譲り渡し、すべて処分となった。

半ば意地になって、お客さま用の大型鏡面セット一台だけは、

夫が自宅に持ち帰ってきた。

すべて事が終了し、店はもうなくなったことを

父が母に告げると、

「ごくろうさんでした」と 一言だけ 母が言った。

そして

次の日から、母はベッドから自力では、起き上がれなくなった。

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