忍者ブログ

サロンLAPISのニュートラルトーク

ひっそり隠れ家サロン時代から書きためている本音のコラム。 時にじんわり、時にきっぱり。 素で綴る、セラピストのひとりごとです。

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

生と死の狭間で【プロフィール作り④】

身内の死を 若いうちに経験することが多くなって、

私はどこか冷めた人間に、成長したのだと思う。

「人間、いつかは死んでしまう。それならば、悔いのない生き方を しなければ」

まだ、若干20歳。しかし、生きるためには働かないと・・・という

職業意識が芽生えたのも、生まれ育ちによるのかもしれない。

しかし、それも生身の現実に突き当たり、とんでもない思い上がりだと

打ちのめされる時が来る。

忘れもしない、私の職業観に、深く影響を与える出来事が 起きた。

昭和60年 8月 12日。

今でも思い出すと、平静ではいられないほどの、つらい事故。

日航機の墜落事故である。


当時の私は、念願だった空港職員となり、エアポートサービスという仕事を

羽田空港でしていた。フライト案内・サービス・保安・航空保険・ホテル販売など

仕事は多岐にわたり、その仕事は過酷なシフト勤務であったが、

憧れていた仕事に就けて、毎日が夢のようだった。

あの日は、新人研修もようやく終わり、実習バッジがとれ、いよいよ一人立ちで

繁忙期を迎えた、お盆の真っ只中だった。

ターミナルは人で溢れかえり、18時発のフライト便は混雑を極めた。

17時代、ロビー巡回の私は、早めに手荷物検査場にお進み頂くよう

誘導案内をしていた。

そう、あの123便 大阪行きのお客様も例外ではない。

沢山の笑顔、出発の高揚感、そんなエネルギーを間近に感じつつ、

いつもの光景、いつもの日常を 見送っていた。

そして、18時。多くの出発便が、羽田を離陸していく。

私はセンターに戻り、電話案内と、フライト放送、出発・到着放送を担当する

ポジションについていた。30分もたたない頃だろうか・・

始めは、一般のお客様からの 奇妙な電話から 始まった。

「今、山のほうに、何か大きな物体が 落ちていったように見えたんだけど、

あれは飛行機じゃないのか?」

毎日、いろいろなおかしな情報の電話はかかってくる。そのための、録音システムは

万全である。しかし、それはとてもいたずら電話とは、思えない情報だった。

その後、われわれが傍受している、エアバンドの応答も急速に

尋常ではない様子を示していった。

羽田に近づくシップを、上空待機でコントロールしているのだ。

各シップのキャプテンと、管制官のやりとりが、通常は英語でのやりとりなのに

「日本語で申し上げます~」と、言っている。

ペアを組んで勤務についていた、六年目の先輩の顔が みるみる蒼ざめた。

「これは大変よ。なにか重大なことが 起こっている」

先輩の言葉に、私は凍りついた。

拍手[0回]

PR

COMMENT

NAME
TITLE
MAIL(非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS(コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます

カレンダー

07 2018/08 09
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
Copyright ©  -- サロンLAPISのニュートラルトーク --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]